2017年9月14日木曜日

キューバでハリケーン

 1950年代のカテゴリー5のハリケーン以来の超巨大ハリケーンIRMAの上陸に際して、あらかじめTVラジオ等を通じ、キューバ政府は最大限の警戒を市民に呼び掛けていた。そのお陰で、被害は最小限に止まったように思える。

 キューバの建築物は老朽化が激しく、普段からバルコニーや外壁の一部のコンクリート落下が頻発する程であり、老朽化による危険性を十分認識している。キューバ市民はガラス窓を廃木材で補強したり、出来うる限りの準備をし、上陸に備えた。
 ハバナ市内が暴風域に入る前から既に停電が始まり(政府により、火災等の防止のための事前の停電の可能性もあり)、ハリケーンが過ぎ去った後も合計3日間に及ぶ停電が続いた。それに伴い、水道水の供給のためのモーター等も働かず限定的となるため、水不足にも陥りつつあった。

 ハバナリブレホテル等の一部のホテルのみが自家発電で営業し、照明が点いていた以外は、信号も停電し、ハバナ市内は一面闇に覆われた。


 
翌日に市内を確認したところ、未だマレコン海岸沿いでは10メートル近くの高波が押し寄せ、2ブロック先まで海水が及んでいた。

カピトリオ(旧国会議事堂)のあるプラド通りに至っては、ネプトゥノ通りまで海水が及んだ様で、路面は泥や折れた木々が散乱していた。当然マレコン海岸通り、ネプトゥノ通りあたりまでは車の侵入は禁止となり、市内全域に折れた木々の枝葉が道路に散乱する状況。マキナ(乗り合いタクシー)はおろか、バスはほぼ100%の運休。


ほぼ全ての個人商店も閉鎖されたまま。唯一ビッキー(イギリス人と合同経営で注目を集めるレストラン)は自家発電により営業を限定的に再開しており、大勢の行列を作っていた。



 3日目になると、ほぼ通常通りの交通状況になり、午後になりようやく部分的に電気の復旧が始まった。

 4日目現在、路面に散乱する木々の回収が本格化、未だに信号は回復せず警察による交通整理が続くが、通常の生活に戻りつつあるが、観光客が多く回復が優先されている地域さえ、未だに電力供給がおよそ6割程度にとどまり、全面回復には程遠い。


 以上が現在までの経過です。

 と、かなり悲惨な状況でしたが、その状況下、キューバ人のタフさを目の当たりにしました。また、ハリケーン通過中も電話回線は生きていたので、ロウソク等の僅かな明かりで料理、食事をしつつも、いつも通りに電話にて、友人や家族とジョークを混ぜながら話をしていました。車のバッテリーをテレビに繋ぎ、ハリケーン情報をチェックしたり、とインベント クバーノ(キューバ人の発明)が炸裂。

 私は、所属するKlimaxのリハーサルが停電により中止となったので、普段忙しくなかなかこなせない予定をいくつか片付け、近々来日する大切な友人であり、キューバが誇るパーカショニストのアデル氏と会い、彼お手製の料理を頂きつつ、16世紀さながらの3日間を思い返していました。お互い最近忙しく、なかなか会うことが出来なかったので、不幸中の幸い。
 
 また、以前に数日間に及ぶ断水があったのですが、電気、水道の都市基盤が脆弱で、一部がトラブルに陥ると全域が止まってしまう。日本のようにバックアップ機能が存在しない事の脆弱性を再び痛感しました。

 しかしながら、3日間に復旧が開始された事は、キューバにしては「迅速」であり「できる限り以上のスピードで復旧対応をする」というラジオのアナウンスは嘘ではなかった。

 私はこういったサバイバルな状況になると、スイッチが入るタイプなのですが、いつも、その特殊な状況を噛み締める事にしています。
 普段は街灯に邪魔されて知ることのない夜空の明るさや、僅かな明かりで食べる質素な食事の味わい、静寂な中で手を叩き奏でるリズム。
 これら全てがかけがえのない記憶となる。